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2014年も出会えた薬師池の美しい紅葉♪

2014.11.22(土)今月2度目の3連休、初日もいいお天気に恵まれた行楽日和

 紅葉狩りには絶好のチャンスが到来している。東京町田市の薬師池公園の紅葉も下記の写真の日から3日が過ぎて、更に彩りも深まり美しい輝きを見せていることだろう。 

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池を囲む紅葉の色はまだ少し浅かったが、水面に映る緑とのコラボに感動

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池の左手奥に向かう菖蒲田周りの木々も赤く染まり始めて。ケア施設から職員さんの付き添いで、沢山の見物客が来園されていた。

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美しい紅葉を見上げてさぞ楽しく感動のひと時を味わえたことでしょう。

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もう少し奥のほうまで散策が続く方達。

P 大変有難いことに、園内には介護用などに特別設けられた駐車場もあるので、ケア施設の大型の車も安心して入ることが出来る。勿論私的な車いす利用でも電話確認をしておけば、その駐車場を利用させていただくことが出来た。

数年前、紅葉シーズンに入る前に生前の母と私達夫婦に息子の4人で訪れ、車いすを押しながら池の周りを散策した日を懐かしく思い出した。母は久しぶりのドライブで初めて訪れた薬師池の景色を見るなり大満足だったようで、帰りの車に乗り込むまで笑顔が途絶えることが無かった。こんなに美しい紅葉の時期にも連れてきてあげられたらよかったと悔まれるけれど、その後「どこかに行こうか」と言っても「容易じゃないわね」と応えるばかりとなり、この頃から母の体調は徐々に衰弱していったのだった。

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太陽の光を浴びて透ける赤い

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照らし出された木々の豊かな彩りに心膨らむ

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彩り豊かな紅葉の枝

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紅葉の枝からぶら下がったジョロウグモ。
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風情ある薬師茶屋さん。お団子がとても美味しい

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この連休は池の畔の赤い色は更に深みを帯びているかもしれない。そして水面も真っ赤に
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大銀杏の黄金の輝きも今が見ごろ。

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池の畔で毎年一番早く色付き始める楓の木は、すでにこんなに赤く燃えている

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眼鏡のような太鼓橋

        町田市薬師池公園 11月19日撮影





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薬師池公園での思い出

2012.01.14(土) 今日も寒い。乾燥した空気に加湿器が欠かせない。明日を控えて今日はその準備位で、少しゆっくり過ごしたい。

   ギターの音色の中で 

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いつも通りの朝食。暮に注文しておいたCD4枚のうち、1枚が入荷遅れのまま、やっと一昨日届いた内の1枚。ギターの名手二人がつむぎだす音が食卓を包み込む。ジム・ホール&パット・メセニー、どちらも大好きなギタリスト。大人のジャズを二人で楽しみ遊んでいるかのように奏で、聴かせてくれる。朝の贅沢時間

   薬師池の水の色 

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池の水は、青く冷たく、研ぎ澄まされた氷のような冬色に輝く

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大銀杏の葉、藤棚の葉もみんな落ちた冬枯れの季節。薬師の四季は千変万化。

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池の畔にはやがてこんな紅梅も咲く(昨年の薬師池の梅)

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園内の椿園にはこの季節の花が、

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開花を待つ蝋梅が風情を添える

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地面まで椿の花色に染めた椿園にお別れ

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蓮田も今は冬

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田の側溝の水面が不思議な色で覆われて

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枯れ葉が踊る水面が、やっぱり冬の水路らしく

訪れる度に違った表情を見せてくれるここは、何度通っても飽きる事が無い。今頃は何が咲いているだろうかと、来るたびに期待を裏切られることなくその季節ならではの花が咲いている。神奈川のすぐお隣の町田市にある「薬師池公園」

先日逝った母を連れて来たおととしの秋の薬師池も忘れる事が出来ない。私達夫婦と息子と3人がかりで車イスの母を連れて来たあの日はまだ元気な頃で、到着して車から降りた途端笑顔に変わり、池の畔を車イスで一周する間から広場でおやつを食べる時も笑顔が途切れることが無かった。花壇の側で花に囲まれた時のこぼれる様な笑顔を息子が一眼カメラでとらえていた。その写真を明日の葬儀の遺影に選んでお願いをした。大好きな帽子をかぶりいつものままで。髪型も服装も和服に代えたりすることが出来ると説明されたが、元気だった頃の自然な母の姿のまま祭壇で笑っていてほしくて。



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少し慌ただしい日が続いて・・・・・

2012.01.11(水)鏡開き』よく晴れて乾燥した日が続いている。

15日の母の葬儀に向けての業者さんとの打ち合わせや、それら決定してゆくことの連絡を出席する家族達へ。その日に向けての買い物、母の親戚からのお悔やみの電話などで、夫婦二人とも連日慌ただしい日が流れてゆく。事務的な用事や連絡を次々こなしてくれている夫には感謝あるのみ。

 施設へご挨拶

昨日はその合間に、母が晩年の1年6カ月と、ショートステイでお世話になった3カ月も入れれば1年9カ月を幸せに暮らさせて頂いた施設に、母の他界の報告を兼ねて二人でご挨拶に伺った。施設長と相談員さんに、母がいつも幸せに暮らせて感謝をしていた旨を伝え、お会いできた職員さん達にもお礼を述べたあと、母が一番お世話になった2階のユニットに伺った。入所当時からお世話になった男性職員のMさん、内部での人事異動で、代わって間の無い方々にも、母は信頼を寄せていた。皆さん言葉少なに応対して下さったが、そのお心根が伝わるような真摯な対応と、今は母の名札も外された居室の扉を見ると、不覚にも涙が流れだしてきた。お仲間だった、母より年長のFおばあちゃんの名札が無くなり、リビングには知らない入居者の男性が二人と母の先輩入所者のE子さんがいらした。E子さんにご挨拶をすると、母の居なくなったことを理解されているようで、神妙な表情で「ご苦労様」と、お辞儀を返された。

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2階のエレベーターホールに飾られた1月の貼り絵。12月6日から入院していた母は、この辰年の1月の絵を見る事が出来なかったが、この辰のように、下界を見下ろしれいるかもしれない。

施設でお暇して、駐車場を兼ねた庭に出、花壇の方を眺める。冬枯れの花壇は淋しげだったが、車イスの母と一緒に腰を下ろした白いガーデンテーブルとチェアがあり、その光景にも涙を誘われる。もっとここに居てほしかった。この庭での2度の秋祭りを過ごした母。2度目の昨年は最初の年のように楽しそうでは無かった。今思えば、母の体調はすでに余りよくなかったのかもしれない。行くたびに「どこか痛いところは無いの」と聞けば「どっこも痛くありません」と応えていた母。訴えるすべを失っていたのか、痛みや苦痛は本当に無かったのか、今となっては知る由もない。

我が家から歩いて5分程の道のりを、以前のように歩く回数は減ってしまう。後一度事務手続きに伺うと、施設ともお別れになってしまうが、あそこに行けば母が居るような、そんな気持ちのままでいられそうで、それも幸せな思い出かもしれない。不思議な事に渋谷の実家に居た母よりも、施設で車椅子に座り、いつも微笑んでいた時の母が今は一番懐かしい。

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母の幸せな最期を見届けた

2012.01.08(日)早くも七草が過ぎ、お正月気分も抜けてくる頃。

松の内の最後の昨日夕方5時20分、母が静かに眠るようにこの世から旅立っていった。そのほんの数分前、病院の窓から大山方面に沈んで行ったこの日の太陽の残照。山々の手前の灯りが上りかけた母の魂のように輝いた。

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母の血圧が下がり始め、呼吸も更に荒くなり始めた頃、、4人部屋からナースステーション隣の個室に移された。この頃には、私達夫婦、アメリカの姪夫婦以外の弟家族全員と娘が母の周りに集まっていた。

新年を迎え、日増しに体力が衰えはじめた母。娘達、息子達、私達夫婦が毎日のように見舞いに出かけた。娘が行った時が一番よくしゃべっているようで、話がかみ合ったなどと報告が来る。

昨年暮れ12月6日に入院してから一月が経った。「長くて一月、早ければ年内の可能性も」とドクターに告げられたのが20日、更に24日には膵臓に癌が見つかり、重症である旨も告げられた。イブの日に弟達に連絡を取り、イブからクリスマスにかけて、母の見舞いが相次いだ。暮から年が明け、自分の家族が主に交代で母を見舞う中、新年の3日には弟が来て、その頃から母の意識は薄れがちとなった。毎晩、携帯の電源も落とさずに枕もとに置き眠った。いつ病院から連絡があってもいいように態勢を整え始めた。

母が神奈川に来てから撮りためた写真を選び出し300枚近くネットでオーダーし、更に小ぶりのアルバムを用意し、みんなに見せる分、一緒に写した家族達それぞれに渡せるようにと合わせて10冊程のアルバムを作り上げた。葬儀の日に母の思い出を一緒に持ち帰ってもらうために。そんなさなかの昨日だった。朝一番に見舞った娘からの連絡は、「おばあちゃん、今日は酸素マスクをして、血圧も低い」、すぐに夫と二人で病院へ。

酸素マスクをした母は、その前日もそうだったように、目をあけることも笑うこともなく、荒い息をしたまま横たわっていた。昼食もまだの娘と夫が、昼食を兼ねて、又今後への必要な買い物に出かけた。4・5時間の間一人で母の側で、小さな声でそっと語りかけた。「お母さん、ありがとう。みんな幸せに暮らしているよ。みんなお母さんのお陰。もうじきみんながお母さんに会いにくるよ」と。尽きない感謝の念は母に伝わっただろうか。

人が好きで、小さな子供が大好きだった母の最期は、二人の可愛いひ孫も含めた母の子供達家族に見守られる中、閉じた両の目から一筋ずつの涙を流して逝った。松の明ける日の土曜日を母が選んだのか、そしてみんなの時間の付きやすい、夕方に旅立ったのだった。あっぱれとしか言いようの無い母の旅立ちに、何故かおお泣きすることもなく、そのさりげなさに全員が悲しむというより、母の、後に憂いを残さないその旅立ちに不思議な明るさが残ったのだった。

何よりも、末期に近い癌が見つかったのに、痛みを訴えることもなく、大きく苦しむ事もなかった。唯唯最後に意識が遠のき荒い呼吸をしている母が少しでも早く安らかに眠れればとみんなが思い出した頃に、すっと逝った母の潔さは、家族全員の心にほっとするような安堵感を残してくれた。病院地下の霊安室に安置された遺体となった母は、病院の方できれいに清めてくださり、新しい浴衣を身にまとい、お化粧のほどこされた顔が生きて眠っている時と同じような表情で安らかだった。母の介護を始めて、何度も言ってくれた言葉「あたしは幸せよ」施設に入ってからもすぐに馴染み、終の棲家としての日々を「あたしは幸せよ」と何度となく言ってくれた母。家族との最後の別れの時もきっと幸せな気持ちで旅立っていったと思いたい。

数え88年の人生のうち70年以上商売をしながら働き続けた気丈な母は、一度として娘に愚痴を言うこともなく、子供達を男親のような大きな愛情で包み、育てた。

一夜明けた今日は、午前中から自宅で葬儀社との打ち合わせ。斎場の都合と家族全員の希望で、15日日曜日の一日葬とし、喪主は長男である弟が、そして母が最後に幸せな日々を過ごせた神奈川の地で、家族だけで母を見送ることに決まった。弟が高齢になったその他の親戚達に伝えた連絡からこちらにも連絡が入ったり、葬儀社との更なる打ち合わせ、連休が明ければ病院への支払いや、お世話になった施設の事務手続きなど、この後も片付けなくてはならない用事も多い。、しばらくばたばたとしそうな日々。

今日は母が最後を過ごした病院近くに買いものに行き、病院の周りを歩いた。駐車場側からの入り口から院内に入りエレベーターに乗る。4階のあの部屋に行けば母が寝ているような、先に書いた事実など何も無かったように眠っているのではないかと、夢のような気持ちに襲われる。又、我が家の裏手の歩いて5分程の施設のあの部屋には、母がニコニコしながら車イスに座っているのではないかと、遊びに行ってしまいそうな、そんな気持ちのままの自分がいる。

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2012年の初日は我が家から見た日の出で始まった!

2012年1月1日

 皆様明けましておめでとうございます。

 皆様にはよいお年をお迎えになられたことと思います

 今年こそよい年でありますようにと願いながら、    

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

   初日の出 

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目が覚めて、すぐにカーテンをひいて3階の我が家から見える元旦の日の出を確認。明るくなり始めた朝、東の空から上る日の出を待った。

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木立の向こうの建物屋根の向こうから上り始めた今年一番に見える日の出

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少しずつ高くなり

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やがて建物の屋根より高く姿を現した

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室内のりビングボードのガラスの中に映った日の出

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やがて陽の光は高く高く上り始めた。

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元旦の朝の日射しがお供え餅まで届き、照らした

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ボードの扉に映った光と影

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磨き忘れたボード内のグラス達だけれど、初日を浴びて少し輝いて見える

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テラスからの日射しが射し込んで、花瓶が透けて見えた

平和な朝だった 時折ぴーよぴーよとヒヨドリがテラスの鉢に遊び来る。今年こそ平穏な年であってほしい。そんな願いが午後には打ち砕かれるような、久し振りに大きな地震に襲われた。2時半になる少し前だった。震度4程の揺れが長かった。3.11の地震の時に近い時間。何も年明け早々こなくてもと思いながら、よく考えて見れば、昨日までの昨年の続きが今日なのだった。年が明けたからと言って、昨年の出来事がリセットされたわけでは無かった。

まだまだ忘れるわけにはいかない。あれからは風呂にはいつも一杯の水を溜めながら、食糧やボトルの水などの備蓄も欠かさず、揺れを感じたらすぐに潜り込めるようにダイニングテーブルの椅子は一脚片付けたままになっている。

それでも年神さまに願いたい、大きな災害が起きませんようにと。

地震後に、息子から電話が入り、母の見舞いに行くというので、病院で落ち合おうということに。今日の母は、病室のベッドでよく眠っていた。談話室で目覚めを待ちながら息子達を待っていたら、娘夫婦が見舞いに来てくれたので、久し振りに孫息子以外の人数が揃った。母の目覚めの様子を見に行きながら、全員が順番に母を見舞う。

母には「お母さんいつも有難う」の言葉をかけた。軽いジョークに反応して、「ホッホッホ」と笑わせたりして、穏やかに眠れるように安心させ、疲れさせてもいけないので短時間で切り上げた。

全員が時間があるというので、駅前のファミレスなら多分空いているという息子の提案もあり、3台の車で行って見たら、予想通り車は止められるし、店内も静かで空いていた。2日の自宅での新年会も無しなので、孫息子は来られなかったけれど、6人で夕食。帰りに自宅に寄ってもらい、お茶を飲みながらのひと時を過ごした。孫娘は我が家のパーソナルチェアーで膝かけを掛けて眠るのが好きで、今夜も眠ってしまい、息子親子が後に残り、夫と息子の共通の趣味であるギター談議などに花を咲かせる平和な時が流れた

いつもの自宅での新年会を今年は出来ないけれど、家族が元旦に顔合わせが出来て、それなりに楽しいお正月となった。いつも仲間だった母と孫息子が居なかったのが淋しく残念ではあったけれど。2012年の初日がこうして始まった。

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今年もあと少し、皆様今年もありがとうございました!

2011.12.31(土)2011年の最後の日が、あと少しの時間で次の年にバトンタッチされる。大晦日、紅白歌合戦も佳境に入った。3・11の震災から9カ月以上経った今年の紅白はこれまでと違い、被災地への応援メッセージが込められた心温まる構成で進行している。震災による原発事故とともに、被災地の方々の悲しみは想像以上のご苦労を伴い、又日本中がこれまで経験したことの無い暮らし方を強いられるようになった。そして世界中で起きた自然災害や経済の停滞、年の後半までの出来事など激動の一年であったと思う。この年との別れに、ほんの少しの希望の光が見えそうなそんな大晦日。来年こそは今年と違う明るい年でありますように

 

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母の入院が続く中、そして退院後間の無いこの暮れは新年の準備をどうしようと迷いながら、結局我が家での新年会は取りやめた。それでもお供えとお正月用の花だけは用意した。40何年ぶりにおせち料理を作らない年の瀬の夜はいつになくのんびりだが、昨日今日、さすがに一年の汚れが溜まった我が家の様子にちょっと気合を入れたお掃除をしたため少しぐったり。

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午前中、北海道の古くからの知人から金沢の“かぶら寿司”が送られてきた。おせちの用意の無い新年のご馳走になりそうで何だかとてもありがたい贈り物。

夕方は、今年最後の母の見舞いに出かけた。少し前に見舞った娘から「おばあちゃん、少し元気が無いみたい」と連絡があった。病室の母は、確かに少しずつ元気が無くなっているように見えた。それでも「明日はお正月よ!今日は大晦日よ」と言うと「あら~」と言う。夫が「明日もくるよ」と言うと「ありがとう」と応え、「明日はおめどうを言いに来るから、ゆっくり眠ってね」と言い置いて病室を後にした。

20何年の間、毎年我が家の新年会に参加してくれていた母。最後の5・6年になろうか、毎年、夫が、後半は息子達が渋谷まで母を迎えに行き、帰りは夫と私か或いは息子達と20何年自宅まで送り続けた。そんな新年を、今度の年は同じように迎えることは出来ない。明日病室に行ったら、おめでとうより先に母に言おう。「お母さんありがとう」って。

   最後になりましたが、

いつもブログにお越し下さった皆様、今年もお世話になりました。温かなコメントにどれだけ励まされましたことか。心からお礼申し上げます。後半は皆様のブログにお邪魔することが少なくなりましたが、来年は時間が出来れば、又ゆっくりお邪魔させて頂きますのでどうぞよろしくお願いいたします。

そして来るべき年が、皆様にとりまして、輝かしくお幸せな一年となりますように心からお祈りいたします。



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年の瀬に決まった母の今後。

2011.12.27(火) 快晴の青空には雲ひとつなく。冬至を過ぎて少しずつ陽も伸びてゆくだろう。

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昨日夕方窓から見えた空。西日をを受けた雲の色。

土曜日、母の主治医から母の詳しい病状の説明があった。膵臓から肝臓に転移した癌があり、かなりの重症で末期とのこと。高齢で体力の落ちた母に、今メスを入れることは、ドクターも家族も望むところでは無く、幸い痛みを訴えないので、痛みが出た時のケアを万全にというところで合意することに。もう施設に帰れる見込みは無いので、キャンセルをされた方がという主治医からのアドバイスがあった。母の顔を見ての帰り、お世話になった施設により、現状と次の入所を希望される方の為に、お部屋をあけるむね伝えた。

そして昨日、夫と息子が午後母の居室にあった椅子やテレビ衣類などをひきあげて来た。職員さんがあらかじめ荷物を片付け終えたところだったそうだ。年が明けて、事務的な手続きもあるので、その折に改めてご挨拶に伺うことにして。

長かったようで、短かった施設での母の生活は終わった。「私は幸せよ」何度も施設に居ることをそう表現していた母の今後は病院での看護となり、余命を一日も長く苦しまないでいてくれるように祈るばかりの日々となった。弟家族、母の妹の叔母たち、他界した妹の家族などに連絡したり、見舞いに来てくれた弟達と病院で会ったりと、ばたばたとした時が過ぎる中、自分の養生もしなければならないので、暮れの用事はすっかり諦めた。40何年続いた家族が集まる新年の顔合わせも来年は見合わせて、みんなが元気なら近くで軽い食事でもしようということになった。

 

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冬のミニ薔薇が、テラスで咲き続け目を楽しませてくれる。今年は新春用の寄せ植えもしないで、今咲いている花達と仲良くしよう。

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大和“ふれあいの森”の初冬

2011.12.20(火)燦さんとした太陽の輝き、澄んだ空に小鳥が飛び交う。冬の薔薇、ヘリオトロープ、黄色い金魚草、初恋草にガザニア、なでしこなど、狭いテラスの花達もお日様浴びてキラキラ

朝一番の電話は、母の病院の主治医からだった。肺炎は大分よくなったが、肝臓に何かあるようで、検査をするので、その承諾の確認だった。今日は夕方主治医の説明を聞きに行くことになっている。

自身の体調は、昨日から軽い掃除や片付けなどが出来るようになって、平常に戻りつつある。けれどこの年末は母の容体の心配が残り、何かと気忙しい日が続く。

   ふれあいの森の初冬 

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秋の名残の紅葉が残る薔薇園に登る段々。青空に真っ赤に染まった木々の葉。幸せへの階段を上るように、ゆっくりゆっくり足を踏みしめ上った。薔薇の花はほとんど見られなかったが。この赤さえあれば何も要らない

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見上げれば、木の枝には鳩。平和な青空。深呼吸しながら澄んだ空気を胸一杯吸い込んだ。

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太陽は地上の木々に、地表を、あまねく照らし出す。

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上から見下ろす花壇にはパンジーが規則的に植えられ、回りはまだ赤い木々の額縁が囲む。

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この季節の赤を写したい人は私だけでは無かった

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赤い木々に向かって、幸福な出会いに感謝をこめて歩く

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落ち葉さえも輝かせる太陽の光

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赤い木にレンズが向けられていた

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芙蓉の花の後か、真っ赤な葉の前で揺れていた。

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何の花のあとだろう?

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もう一度朱赤に輝く木に別れを告げ、通路に出た。

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反対側のコスモス畑はきれいに刈り取られさっぱり。

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病院の白い壁ばかり見ていた目には、全ての木々の色が目に鮮やかで、温もりに満ちていた。12日間の入院で萎えた足は、まだ少し浮いた様な感じで地面を踏みしめていたけれど、もう少し欲張ってトンネルをくぐって、滝の流れる方にも行ってみることに。

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急病で入院、そして無事に退院できました!

2011.12.19(月)快晴の日が続いている年の瀬、冬の日射しはリビングを通り越しキッチンまで届いている。明るい日射しに応援されて、しばらく休んでいたブログ再開への気分が整いました。

急にブログを休んでしまい、コメントを頂いた皆様には、ご心配をおかけしてしまいましたが、やっと元気を取り戻しつつあります。有難うございました。

  入院 

今月4日の日曜日、いきなり上腹部に激痛が走ったが、しばらく休むうちに収まり、明日、病院に行こうと予定を立てた翌日の昼食後、再び同じ、凍りつくような激痛が走り、3時からの外来受付けに早目に出かけた。出がけに何だかむかむかするので、タオルを一本持って出かけた。診察を待つ間、急な吐きけ。持参のタオルが役に立ち、その間夫が立ち上がると同時に看護婦さんも気づき、ビニール袋を渡されて、心おきなくお腹の中のものをビニール袋一杯吐き出すことが出来た。その後は、いきなり血液検査、レントゲンにCTと検査が続き、即入院が決まった。一旦家に戻り、入院の準備を整え病院にトンボ帰り。その日から絶食、点滴の入院生活が始まった。夜には、胴ぶるいするような悪寒と熱が出た。担当の先生の診断は“総胆管結石”とのこと。7日に内視鏡検査及び手術。十二指腸乳頭(出口)切開術で、胆泥が取れたとのこと。そして10日朝食の重湯の開始までの間、9日まで点滴と絶食が続いた。腹部の痛みは無くなり、徐々に元気になってきた。翌週14日、体内に残っているパイプを取り出す為にもう一度内視鏡となり、その時には白い結石も取れたことを写真を見せて頂きながら説明された。前日から再び点滴及び絶食。翌日からは再び食事を摂れるようになり、連日の血液検査で体内の悪い数値も幾らか下がり、16日の退院が前日になって決まった。しかし、まだ完全に健康な状態では無いので、月に一度ずつの検査ガ決まり、毎日飲む薬が処方された。

長年の蓄積、コレステロールが高い。肝機能の数値が高いなど、今後への課題が残された。この年まで、病気知らずと思っていた思い上がりを反省するいい機会となった。先生に、「退院したら、ショートケーキを一個食べたいけれど?」と伺ったら、苦笑いしながら「一口にしてください」と言われたのに、帰りに不二家によって、半分平らげてしまったけれど、その後は、野菜中心のローカロリー食を心がけている。今回の入院のお陰で、体重5キロ位は減るかしらと思っていたのは甘かったようで、今のところ2キロ減。維持しながら後3キロ位は減量したいと心に誓っているけれど・・・・

   もう一人入院 

今回は、自身の入院に追い打ちをかけるように、入院翌日、母が呼吸困難になったという連絡が、お世話になっている施設から夫の携帯に入った。折り返し入院なら同じ病院でお願いしますと夫から施設に連絡をしてもらった。幸い、施設の担当医は同じ病院の先生。3時に施設に行ってくださり、その後1階上の病室に入院となった。検査の結果、心不全と肺炎を併発しているとのこと。酸素吸入と点滴、血圧や脈などを図るモニターが側に置かれて痛々しい。3日目くらいには、鼻からの管に変わって、幾らか話もできるようになったが、本人は何が起こったのか何も理解をしていない。安静のまままだ入院が続いている。入院中は時折病室を訪ねては話をたり様子を見ていたが、簡単に退院とはいかないかもしれない。母娘と連日の入院騒ぎで、弟家族がそれぞれ日替わりで見舞いに来てくれたり、夫は毎日、娘夫婦に息子、孫も一人ずつ空いた時間に見舞ってくれて、弱気になりがちな入院生活を家族の絆に大きく元気づけられた。

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皆既月食のあった朝、山吹色の大きな月が沈むところを病院廊下からデジカメでぱちり

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病院談話室のクリスマスツリー

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退院当日、娘が我が家に届けてくれた退院祝いのブーケ母親の好みの色でまとめられているのが嬉しい 息子からはブログをUPしないので、心配して電話が入ったりと子供達の心遣いが有難い。

退院後は、入院中に伸びた髪をカットしに出かけたり、体力の回復を促したく、公園に行き、ゆっくり散歩。初冬の景色を楽しみながら久し振りにカメラを手に撮影する楽しみを思い出すことが出来た。家事はまだ手抜きで食事作り位しかしていないが,今日位から幾らか気力も出て、元気になれそうな気がしてきている。今回の病気に負けないように、見えない体の内部にも気を遣って暮さねばと切に思う。

  

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入院前の今月3日、雨の滴がしたたる我が家のチロリアンランプ。乾燥した日が続いているので、ちょっぴり懐かしい。

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初恋草も可憐でしょ   

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テラス前の公園の木々も葉を落とし始めたころ

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テラスの手すりから飛び出したチロリアンランプもしっとり

ガザニアが沢山咲いたと、夫が写した花の写真を携帯に送ってくれたけれど、入院中は、こんな平凡な我が家の様子が恋しかった。

やっと戻れた我が家での生活。一番喜んでくれたのは、やはり長年連れ添った夫だった。妻と義母の入院手続きから二人の見舞い、簡単な家事や一人きりの食事作り、さすがに子供達と外食したり、一人での外食も増えたようだが、いつもの2人3脚の日々とは違う一人きりの生活はそれなりに大変だったようで、やっと平素の日々に戻れたことで安心できたようだ。健康第一をモットーに体力を回復をしていこうと改めて心に誓うばかり。


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麻溝の猫達との触れ合いタイム♪

2011.10.11(火) 凌ぎやすい日々が続いている。こんな季節は草むしりをしたり花達の手入れが楽しい

連休は、近場の公園散歩などで過ごし、施設で流行っている風邪を考慮し控えていた母の見舞いに。昨日様子を見がてら顔を出してみた。職員さん達も次々風邪で休んだりとインフルエンザではなかったようだが、母のお仲間も含めてやっと回復してきているようだった。母はまだいくらか咳が残り、病み上がりの顔をしていたが元気は回復してきているので、こちらはマスク掛けで防備しながら、姪の結婚の話題などで盛り上げた。

   麻溝の仲良しニャンコ達  

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連休中は、入れ替わり立ち替わり猫達にご飯を届けにに来たり、遊びに来たりするファンが絶えない人気者達。来た時は全く姿を見せなかった猫達は、ご飯の匂いで草むらから出てくるようだ。

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じきにご馳走さましたアビちゃん

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散歩のワンコが通ったので、慌てて草むらに逃げ込んだパンダちゃん

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相変わらず臆病だね

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チェリーセージ咲く花影に逃げたのは、

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アビちゃん 赤いヒガンバナがまだ元気に咲いている。「そういえば夢ちゃんは

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アビちゃんお返事をせず、爪とぎを始めてしまった「スタイリッシュだね、アビちゃん!」

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気を良くしたアビちゃんの視線の先は・・・・・

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セージの花咲く後ろ・に・・、夢ちゃんが寝ていた 最近の夢ちゃんは寝込みを襲われるとえらく臆病で逃げ回ったり、

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機嫌が悪い。

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「お役目務めたでしょう」って、アビちゃんは瞑想中。夢ちゃんのファンだと思っているみたいで けれど最近はアビちゃんのファンでもあるし、パンダも可愛いし、

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ちょっとお腹が膨れて、機嫌が良くなり甘える夢ちゃんは可愛いけれど

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ここで一番最初に懐いてくれたのは、夢ちゃんのすぐ後ろにいるニャン丸だった。最近は急に大人びてしまい、逃げることも無いけれど最初の頃のように甘えることも無く妙に分別臭い仔になってしまったけれど一番後ろはパンダちゃんとのスリーショット パンダも側でくつろぐ位までは懐いてきた。どの子もみんな同じように可愛い公園猫達。

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夕暮れのモノトーン猫達は三々五々くつろぎタイムとなったようで

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ベンチ上にはアビちゃんと、下にはマイケル 5匹みんな揃ってくつろいでいる。もう一匹、見慣れないキジ猫が居たけれど、余り人慣れしていないのかご飯が済むと、草むらに消えて行ってしまった。公園の猫はどの子もおっとり、訪れる人達のアイドルとなっている。余り長居をしてしまうと、次の順番を待つ人が居るのでこれでお別れ。休日は優しい大人が、代わる代わる猫達のお食事当番となって来てくれる幸せな猫達。ここで触れ合う猫達とのひと時に多くの人が、私たち同様癒されているにちがいない。この日も麻溝のニャンコ達に有難うのひと時だった

 

 

 

 

 

 

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