柔らかな日差しの下、春休み中の子供達がそれぞれにワンコを連れて公園遊びを楽しんでいる。お向かいのマンションはペット可なので、大半のご家庭には小さなワンコが。毎日子供達を見ているとワンコを通して、お友達の輪を広めているのがよくわかる。
ペットが身近にいると生き物に対する愛情が豊かになり、子供達の情操の為にはとてもよいことだと思う。
最近多発している「誰でも良かった」などという、命の尊厳に対する意識の低さ、ゲーム的な短絡指向などの軽減には、一番の教育ではないかと思う。
私ごとになるけれど、今日又新しい年齢が一つ加わった。年金が支給される年齢まで来ると無事に1年生きてこられたことがしみじみと有難く、それだけで幸福な気持ちになる。
幸せや苦しみ、喜びや悲しみ、嬉しさやつらさ、寂しさも含めて、生きていればこそのもの。死んでしまえばそれまでのことでしかない。
この世に生をうけた以上与えられた生は何人にも侵されること無く、全うしたいと思う。
大切な命が、こうも簡単に「誰でも良かった」などという、個人的な感情で、奪われてしまうなんて、犠牲になられた方と、どちらのご家族にとってもたまらなさすぎる。こんな理不尽な死をどうやって受け入れられようか。
共に悲しみ、ご冥福をお祈りしたいと思う。
親や教師、大人達みんなが、命というものの大切さをどうやって教えたらよいのかもっと真剣に考えなくてはならない。
その中には動物や植物に対する愛情などを通して小さな頃から教え、人との関わりを通して、やさしさや思いやりを持てるような心の教育を、大人が気長に教えてゆかなければいつまでたっても本当の意味の成熟した社会にはならない。
電車に乗って先ず,我が子から、自分から座ろうなどというあさましい姿など決して見せてはならず、譲り合える心を身をもって教える。美しい音楽の中にゆったり心を遊ばせたり、心にひびく良書に親しめるようにしたり、大人自らが私利私欲だけでは無い生き方を無言のうちに教えたり、時には犠牲になってでも守らなければならないモラルある生き方を、そして共に喜び悲しみ、共感を持つことができるようにならなければ、・・・・・。
生きる事が競争だけでは無いことを、もっともっと大切にする姿勢を学ばせてゆけるようにしなければ、こんなにモラルの低下した世の中に生きる自分自身に対してさえ、とてつもない罪深い生き方をしていることに気がつかなければ、救われないと心から思う。
無垢な動物が身近にいる幸福は、いつかおとずれる別れの日の悲しみを通して、生きとし生けるものの命の尊さを、未来に向かう子供達に植え付けてくれるに違いない。
最近の悲しい事件とペットブームの良い一面としての思いに、ふと考えさせられた事だった。
2008年3月27日
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