2015.2.27(金)昨日とはうって変った好天で陽射しは強く暖かい。
雲南サクラソウ
ホームセンターの園芸売り場で見つけた、初めてのお花。派手なお花は沢山あったけれど、優しい色合いの桜のようなこの花の苗が気に行って購入。昨日は雨で寒く、一日置いた今日は寒気も緩んだところで、大きめの鉢に植え替えた。お日様の光を背後から受けて透けるような優しいピンク色。丈夫に育ちますように
先日渋谷に行った日
昨日の記事のコンサートより早めに到着。懐かしい渋谷南口(現在は西口というかも)付近をで通過中。
首都高を右方向にくぐる前に見えた山手線向こうのビル。かっての東急文化会館跡地に立つ「ヒカリエ」
そして桜丘方面に。首都高下の道路は国道246号。この道路をバスの向かう方向にひたすら走ると神奈川の我が家に近い。今の住まいに引っ越す決心がついたのは246号のお陰だった。
坂を上がりきる辺りを右に曲がりしばらく歩けば「渋谷文化センター大和田」車は坂の途中のパーキングに停めて、コンサート前に予定していた目的地へ。この坂付近も懐かしい通学路だつた。
車を停めて、最初の目的地東急プラザへ。3月22日に閉館となる日まであと30日。正面入り口はそんなもの悲しくなるディスプレーが施されていた
エスカレーターで店内をきょろきょろしながら
目的の6階へ。プラザが完成したばかりのころの写真かと。屋上にある銀行看板の銀行も今は無く、三井住友信託銀行として合併されている。その銀行も昨年あたりにプラザから引っ越しをしている。このころには知る由も無い未来が今なのだ。
ギャラリー内には、50年以上前の写真も含めて懐かしいプラザが出来る前の写真や近郊まで様々な写真が展示され、ほんの短い間運行していた、現在の東急東横店屋上から井の頭線方面に渡れたロープウエイ「ひばり号の」写真の展示も。そのロープウエイには父と小さかった弟と3人で一度だけ乗ったことがあった。細かなことは忘れたけれど、数少ない父との幼い日の大切なお思い出。
歴史ある白黒の往時が偲ばれる写真撮影は出来ないということで、撮影許可のある場所のみだが、これは当時の東横線改札で使われていた切符や切符に切りこみを入れる道具など。昔のハチ公の置物も。渋谷から横浜の桜木町。結婚前の夫は桜木町の少し手前に住んでいた。
現在のプラザの跡地にはこのようなビルが建つとのこと。プラザもヒカリエもその前の東急文化会館も、かっての渋谷駅周辺には東横位しかなかった。地下街だって無かったし・・・・
1階正面入り口付近にも、少ないけれど写真が展示されている。ここでも涙がこぼれそうになる位の追憶のひと時を過ごし、
ビルの外に出てからも名残惜しくて振り返りながら、歩道橋を渡り「さくらホール」のコンサート会場に向かったのだった。早々、歩道橋反対側にはエレベーターが設置されていることに初めて気が付いた。車いすやベビーカーの上がり降りに便利になって、母の存命中近くで商売をしていた頃にあったなら、ずいぶん助かったろうにと思ったことだった。
プラザが出来たばかりの66年、プラザ内のアクセサリー屋さんで夫が買ってくれたネックレス。結婚して間がないころ、住んでいたアパートの家賃と変わら無い位の値段に、思わず泣いてしまった・・・。その頃は地下の食品売り場は毎日のように、洋服もずいぶん買ったけれど、年月を経て残っているのはこのネックレスとお気に入りのニットの洋服位。長い年月の間にネックレスは切れてしまい修理をしたりしながら、今でも大切に使っている思い出のひと品
渋谷の街、懐かしい街、早々、宮益坂にあった児童館も少し前に閉館となってしまっている。次の東京オリンピックに向けて、又大きく変化してゆくのだろう。
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