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2012年1月

冬の谷戸山公園散歩その2

2012.1.29(日)sun 良く晴れているのに風の冷たいこと。昨日は曇り空の中、車で買い物に出かけたが、余りの寒さに、どこかにお散歩という気になれずに帰宅。早く来い来い暖かな春cherryblossom

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凍てつく水どりの池は寒々している

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秋に咲いた“ハマギク”は冬色に変わり

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“おたふく南天”の葉は日の光を受けて赤く輝いた

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桜の枝を見上げ目を凝らして見ると、細い枝先に小さな蕾を見つけた。こんなに寒くても、桜は春が来ることを忘れていないsign03

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凍てつく冬の池に水鳥たちの姿は見えないけれど

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春の近い空が田んぼの畦道脇の水路に映る。

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うっすら雪化粧した丹沢の山々

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秋に刈り取られた田んぼ越しには長屋門があり、大山がこちらを見守るようにそびえている。豊かな自然に恵まれたこの長閑な景色は四季を通じて心を癒し満たしてくれる。

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再び斜面の道を登りながら、帰路を目指す。山々の向こうに太陽が沈んでゆく。

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140年の歴史を誇る名古屋「桂新堂さん」のエビせんべい。

母の告別式の折に集まった家族にひとつずつ渡した会葬の品。お客様の折にお出ししたりしながらも、二人家族では中々食べきれず、今日はひとつのパッケージを開けてみたら、中から福寿草の花が描かれたおせんべいが出てきてびっくりsweat01 椿や南天もきっときれいな絵が描かれているのだろう。

この季節の限定品「冬のえび物語」これは夫と娘が二人で相模大野の伊勢丹に出かけて、娘が「これが一番、おばあちゃんらしい」という意見で決まったという。このほかには甘エビの姿がそのままのおせんべいだったり、封を開ける度に楽しい海老せんべい。晩年は洋服姿ばかりだった母のその昔は、和服姿で何十年も長唄と三味線を続けて名取となった。そんな母の姿の方が娘には印象強かったのかもしれない。そしてこのおせんべい、母もきっと気に入ったことだろう。

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テレビを見ながら、昼食からおやつまで日曜日の午後はのんびり、ゆっくり。


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今年最初の谷戸山散歩♪

2012.1.26(木)sun 日暮れが少し遅くなり始め、太陽の光もほんの少し強く感じるが、この冬は特別な寒さ、取りあえず着衣の枚数を増やした。これまでは割合薄着で過ごせていたのに、今年は急に寒がりになったのか、いつもの年の支度では足りなくて、仕方なしの着ぶくれ状態が続いている。室内でも薄手のヒートテック下着を3枚とタートルにベストにフリースとなると肩が凝って困るけれど、春が来るまでの辛抱だ。

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用事が無ければ着ぶくれて、室内でぬくぬくしてばかりでは運動不足になりそうで、久し振りに谷戸山公園に散歩に出かけた。昨日はまだ先日の雪がわずかに残り、冬らしい景色。山道を歩けば思ったほどの寒さでは無く、積り、溶けかけた雪を覗きこんだりの思わず楽しい散歩となった。

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溶けかけた雪の傍、ねじれた笹の葉が兎の顔になってひょっこりscissors「龍に代わっても、うさちゃんのことは忘れないよsign01

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西日に照らされた谷戸山の冬景色

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斜面に残った雪が枯れた枝越しに見える

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公園隣接の畑斜面に残雪の縞模様

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作物はこんもり大根

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冷たい雪の下から緑の葉っぱが!生き物強し~good

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積もった雪と雪を、雪が橋わたし

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頭と胴体が絶妙の距離を保った未完の雪だるまsnow

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枯れ木と枯れすすきがコラボレーションnote   

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枯れ葉は冷たい雪に冷やされて、それでも朽ちずに顔を出す

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水どりの池は凍りつき、冷たく光ったshine

こんな寒そうな景色を眺めながら、自分にとっては重いcameraをぶら下げて斜面を歩きまわると、結構息が上がり、ぽかぽか暖かくなってきて、ちじこまっていた体は、文字通り“身も心”もほぐれて楽になってきた。小一時間の散歩で次第に軽くなってゆく体の動きに、まだまだ体を甘やかしてはいけないと思ったことだった。

 

 

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雪化粧の朝に。

2012.1.24(火)suncloud 雪が積もった朝snow

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窓から見える公園の滑り台下には真っ白な絨毯が敷かれていた。余程毛足が荒いのか人の足跡付きで。滑り台をのせたままひらりと舞い上がり空を飛びそうな軽やかさ。そんな絨毯の上の滑り台は魔法の世界。「子供達、早く公園に遊びにおいで!」

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大きな足跡が穴をあけてしまいそうな純白の絨毯

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木立に残った雪がキラキラ輝く。

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太めの木立も雪化粧

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屋根の上にも真っ白な覆いが。

寒くて震えるようなこのところの陽気は、関東地方にも今年2度目の雪を降らせた。雪景色は、いつもの景色を魔法のように変えてしまう。この辺では滅多に見られない雪景色だ。1階のエントランス周りからは雪かきをするスコップの音が聞こえてきた。

   *********

久し振りのブログ日記が書ける朝は雪景色からとなってしまったが、この間にも、色々な出来事があった。1番嬉しかったのは19日、昨年の入退院後からの再診で訪れた病院での血液検査の結果が、総コレステロールと血糖がやや高めだが、思いがけずおおむね平常値に戻っていたということ。コレステロールは今後の自己管理で何とかしなければcoldsweats01血糖は食後のせいかなとのドクターのお言葉。退院後飲み続けた薬の処方もなくなった。

体調が良くなってきて喜んでいたら、パソコンのメールソフトの中の大事なフォルダーが消えてしまったり、その翌日からネット接続が出来なくなり2日間プロバイダーと接続会社の☎サポートを受け時間を費やし、最後は接続会社の故障担当に来て見て貰ったところ、どうやら無線ランのルーターが原因ということが分かった。そのルーターももう大分前のものなので、新しく買い替え、2台のパソコンに設定をしなおした。設定方法は随分簡単になっているというものの頭の方が退化してしまい、案外な時間がかかってしまい、疲れたことsweat01

その間も外出する用事が多く、合間に葬儀社の来訪などもあり、年初から最近の我が家には滅多にない忙しい日々となった。

まだまだ片付けなければならない用事が続く。来月初旬にはもう一度病院での検査があるが、それは安心のための検査なので、今のところ不安は無いけれど。

そして2月19日は母の四十九日の法要と納骨が行われる。毎日のように弟夫婦のどちらかと電話やメールでのやり取りが続く。

そんな折のネット接続不調も不便をきたしたけれど、今回の不調により、暮らしに根付いたパソコンの便利な有難さを思い知ったことだった。又、この機会に新しいルーターに替える事が出来て、これもネット使用を更に安心なものに変えてくれた。

遅まきながらの今年の目標は、身体も機械もきちんとメンテナンス!

教師をする義妹からのメールに、昨日、学校でインフルエンザ1号が出たとあった。娘の家族は順番に風邪をひき、今は孫息子が苦しんでいると昨日連絡が入り「パパとママも気をつけて」とあった。

きびしいお寒さが続くこの季節、皆様もくれぐれもご自愛くださいませ。

 

 

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斎藤哲也写真展[天空揺籃-肉体を紡ぐ]

2012..1.22(日)cloud一昨日の関東での初雪、昨日の雨、今朝も曇りがちだったが、昼を過ぎて西の遠くの方に晴れ間が見える。

昨日は「大寒」冷たい雨が降る寒い一日だった。午後、久し振りに小田急線、中央線と乗り継いで水道橋まで、

斎藤哲也写真展[天空揺籃-肉体を紡ぐ]と、同会場内での一日限りの特別舞踏公演を観に出かけた。

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(昨年12月初めに出かけた舞踏見物の折に渡された写真展案内のカードの表と裏)

舞踏家の素晴らしさは言うまでもないけれど、その舞踏家を被写体とした作品がどうしても見たかった。舞踏開演少し前に到着。会場の白い壁には作品が飾られていた。その作品は舞踏家吉本大輔氏の魅力を余すところ無くとらえながら、すでに斎藤哲也氏という若き写真家の世界となって迫り、目を奪われ、その写真の美しさに打たれました。

素晴らしかった舞踏の感想はまた後日に。

その写真展が残念ながら今日までなので、慌てて記事をUPした次第です。

お近くでご興味のある方は是非!!

東京都千代田区三崎町3-10-5 原島第3ビル3F 

☎03-3265-0320

www.upfield-gallery.jp

JR水道橋駅西口から徒歩5分                 

地下鉄半蔵門線九段下駅(出口5)から徒歩15分

12:00~19:00

なお時間通りと思いますが、最終日の為、お出かけの際はご確認をお願いいたします。

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母との最期のお別れ

2012.01.16(月)sun 真冬の寒い日々が続いている。

母の葬儀を昨日無事に終える事が出来た。乾燥は嫌だが、雨や雪でなかったことが有難かった。息を引き取った日からすでに9日が経っている。寒い季節であってもドライアイスで冷やされた遺体となった母の表情は、きれいに化粧が施され生前眠っていたときと同じように、ひつぎの中で穏やかだった。

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少し早めに出かけた斎場。家族だけで送る家族葬会場としては丁度いい広さで、母の好きだったパープル色の幕が花で飾られた祭壇を囲んでいた。前面からの照明、最終飾りつけはまだだったが、母好みに仕上がった祭壇を故人が見たら「綺麗ね~」と喜んだに違いない。

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焼香台にも花に囲まれた母の笑顔が飾られて。

式が始まるまでの一時間程の間に家族達が集まってきた。アメリカに居る姪夫婦以外、母から始まった子・孫・ひ孫まで直系が18人揃い、式の開始を待つ間、控室で母が施設に入ってからの沢山の写真や、我が家にあるもっと前の思い出の写真、母が存在した事によって生まれた縁のある写真など300枚以上を4冊のアルバムにまとめておいた。昼食が告別式・火葬後になるため、お腹に溜まるように用意した茶菓子とお茶で故人となった母を写真を見ながら全員で偲んだ。

式の開始を告げられて斎場に入場。次にすでにご挨拶を交わしていた導師の入場となった。告別式と初七日までの法要が執り行われた。よく通るお声で朗々と経があげられ、力強い声で引導が渡された。最初の焼香に立った時は、本当にこれが最後の母との別れだという思いから涙が溢れた。

式後はしばらく控室に戻ったあと、再度斎場に、導師の優しい笑顔が見守って下さる中、その間に用意された花と、母のお気に入りだった帽子、入院後は点滴のみで食べる事が出来なかった好物のお菓子や煎餅、ひ孫達が折った入院中に母を慰めたメッセージが書かれた折り紙などを母の周りに、そして家族全員でひつぎ一杯の花を、母を囲むように飾った。母の顔を撫で「お母さん、長い間お疲れ様。有難うございました」と声を掛けながら・・・・・・。

喪主である弟からのあいさつで式が締めくくられた。

そして出棺。運転をしない自分が母の白木位牌を持ち、母のひつぎに付き添い火葬場まで出発となり、後ろに5台の車が続いた。日曜日の午後、道路は渋滞していたが、全員火葬場に到着。荼毘に付される母を見送り、控えの間で献杯の挨拶をし、遅い昼食となった。病み上がりの自分とダイエット気味の孫娘にはちょっと量が多かったが、用意した食事は遅めの昼食には充分な量とお味だったようで、和やかなお清めのときとなった。荼毘に付された母のお骨は小さくなって家族の前に。二人一組となって全員でお骨を骨壺に収めた。母の葬儀はこうして終わった。

最後は家族の会葬ように用意しておいた品に、それぞれの家族用に作ったアルバムを一緒に詰めたものを渡し散会とした。

遺骨・遺影・白木位牌は喪主である弟の家に引き取られて行った。後は、弟が父の眠る墓地への納骨の日取りなどの手配を引き継いでくれる。

長かったような、終わって見れば短かったような母の介護から最後の旅立ちの日までがこうして終わった。大正・昭和・平成と力強く生き抜き、最後の7・8年こそ子らの介護を必要としたけれど、見事に生き、散っていった母への感謝の念はいつまでも消えることなく、月並みだけれど「母よあなたは強かった」そんな思いが心の中に残った。

こじんまりとした小さな告別式であったが、誰に気兼ねすることの無い家族だけが送る家族葬は、お世話になった葬儀社の演出や導師である僧侶のお人柄も相まってほのぼのと温かかった。

そして告別式というものが、文字通り故人との最期の別れの日であるという実感がしみじみ湧いてきた昨日今日でもあった。

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薬師池公園での思い出

2012.01.14(土)sun 今日も寒い。乾燥した空気に加湿器が欠かせない。明日を控えて今日はその準備位で、少しゆっくり過ごしたい。

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いつも通りの朝食。暮に注文しておいたCD4枚のうち、1枚が入荷遅れのまま、やっと一昨日届いた内の1枚。ギターの名手二人がつむぎだす音が食卓を包み込む。ジム・ホール&パット・メセニー、どちらも大好きなギタリスト。大人のジャズを二人で楽しみ遊んでいるかのように奏で、聴かせてくれる。朝の贅沢時間note

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池の水は、青く冷たく、研ぎ澄まされた氷のような冬色に輝く

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大銀杏の葉、藤棚の葉もみんな落ちた冬枯れの季節。薬師の四季は千変万化。

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池の畔にはやがてこんな紅梅も咲く(昨年の薬師池の梅)

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園内の椿園にはこの季節の花が、

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開花を待つ蝋梅が風情を添える

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地面まで椿の花色に染めた椿園にお別れ

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蓮田も今は冬

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田の側溝の水面が不思議な色で覆われて

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枯れ葉が踊る水面が、やっぱり冬の水路らしく

訪れる度に違った表情を見せてくれるここは、何度通っても飽きる事が無い。今頃は何が咲いているだろうかと、来るたびに期待を裏切られることなくその季節ならではの花が咲いている。神奈川のすぐお隣の町田市にある「薬師池公園」

先日逝った母を連れて来たおととしの秋の薬師池も忘れる事が出来ない。私達夫婦と息子と3人がかりで車イスの母を連れて来たあの日はまだ元気な頃で、到着して車から降りた途端笑顔に変わり、池の畔を車イスで一周する間から広場でおやつを食べる時も笑顔が途切れることが無かった。花壇の側で花に囲まれた時のこぼれる様な笑顔を息子が一眼カメラでとらえていた。その写真を明日の葬儀の遺影に選んでお願いをした。大好きな帽子をかぶりいつものままで。髪型も服装も和服に代えたりすることが出来ると説明されたが、元気だった頃の自然な母の姿のまま祭壇で笑っていてほしくて。



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冬の薬師池公園でのひと時

2012.01.13(金)sun毎日寒さが続く中、黄色と赤のミニ薔薇の冬の開花期間の長いこと。そんななか、テラスの花達は健気に春の準備をしていたようで、今朝見たら、いつの間にか白とピンクのマーガレットに小さな蕾が出来ていた。ガザニアも時折花を咲かせ、黄色の金魚草も元気に咲き続けている。クリスマスローズの親株にもしっかり蕾が隠れていた。季節は少しずつ動いていたのだ。

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一昨日の寒い朝、自宅から眺めた曇りがちの空に見えた太陽sun

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毎日のように、葬儀に向けての打ち合わせや、それに伴い親戚の者が訪ねてきたりと過ごしながら、葬儀前後の用事の優先準備を確認したり片付けたりと忙しい。それでも一昨日は来客の帰った後、薬師池まで車を飛ばしてもらった。冬の薬師池はわずかひと月の間に暮に訪れた時とは又違う景色となって、久し振りにその景観の中で深呼吸をした。

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見事だった紅葉はすべて散り、椿の花が蓮田の側で待っていた。

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「こぶし」の木にも小さな蕾

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枯れた木立が寒さを際立たせた。この日は冷た風がびゅうびゅう。余りの風の冷たさにダウンコートのフードをかぶって歩いた。

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蝋梅が咲いている。春が来る!

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地面近くに刈り込まれた椿

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広場の花壇には葉ボタンが敷き詰めたように植えられ春を迎えていた。

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薬師の池は、冷たい水の色。大銀杏の黄葉は全て散り、この前見た黄色く染まった水面が嘘のよう。池のほとりの松の木が冬囲いされている。

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梅園から薬師堂へ上る道の赤い旗が風に舞う。

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梅園越しにも冬囲いされた松の木々。木々も花も大切にされている。生きとし生けるものの命は粗末に出来ない。

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梅園の枯れた梅の小枝を、じっと目を凝らして見ると小さな蕾を発見heart04今年も見事な花を咲かせますように。

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尾根の木々は寒々見えるけれど、地表に溜まった枯れ葉が養分となってやがて芽吹き、そして新緑が・・・・巡る季節を想像しながら希望が溢れる

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お薬師様にお参りをと上り始めたけれど、足が参堂下から進んでくれず、余りの寒さと15日を控えたこの日は体調を考え、この石段下から夫と二人で目礼、“おんころころせんだりまとうぎそわか”又参ります。

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薬師堂下の高台から梅園を見下ろしてみた。2月半ばを過ぎれば馥郁とした梅の香りが漂い、美しい景色が広がることだろう。

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薬師の池が冷たく光る冬の夕暮れ時。この寒さもあと少し。もう少しの辛抱、じきに梅に桜の季節がやってくる。


 

 

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少し慌ただしい日が続いて・・・・・

2012.01.11(水)sun鏡開き』よく晴れて乾燥した日が続いている。

15日の母の葬儀に向けての業者さんとの打ち合わせや、それら決定してゆくことの連絡を出席する家族達へ。その日に向けての買い物、母の親戚からのお悔やみの電話などで、夫婦二人とも連日慌ただしい日が流れてゆく。事務的な用事や連絡を次々こなしてくれている夫には感謝あるのみ。

 wheelchair施設へご挨拶

昨日はその合間に、母が晩年の1年6カ月と、ショートステイでお世話になった3カ月も入れれば1年9カ月を幸せに暮らさせて頂いた施設に、母の他界の報告を兼ねて二人でご挨拶に伺った。施設長と相談員さんに、母がいつも幸せに暮らせて感謝をしていた旨を伝え、お会いできた職員さん達にもお礼を述べたあと、母が一番お世話になった2階のユニットに伺った。入所当時からお世話になった男性職員のMさん、内部での人事異動で、代わって間の無い方々にも、母は信頼を寄せていた。皆さん言葉少なに応対して下さったが、そのお心根が伝わるような真摯な対応と、今は母の名札も外された居室の扉を見ると、不覚にも涙が流れだしてきた。お仲間だった、母より年長のFおばあちゃんの名札が無くなり、リビングには知らない入居者の男性が二人と母の先輩入所者のE子さんがいらした。E子さんにご挨拶をすると、母の居なくなったことを理解されているようで、神妙な表情で「ご苦労様」と、お辞儀を返された。

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2階のエレベーターホールに飾られた1月の貼り絵。12月6日から入院していた母は、この辰年の1月の絵を見る事が出来なかったが、この辰のように、下界を見下ろしれいるかもしれない。

施設でお暇して、駐車場を兼ねた庭に出、花壇の方を眺める。冬枯れの花壇は淋しげだったが、車イスの母と一緒に腰を下ろした白いガーデンテーブルとチェアがあり、その光景にも涙を誘われる。もっとここに居てほしかった。この庭での2度の秋祭りを過ごした母。2度目の昨年は最初の年のように楽しそうでは無かった。今思えば、母の体調はすでに余りよくなかったのかもしれない。行くたびに「どこか痛いところは無いの」と聞けば「どっこも痛くありません」と応えていた母。訴えるすべを失っていたのか、痛みや苦痛は本当に無かったのか、今となっては知る由もない。

我が家から歩いて5分程の道のりを、以前のように歩く回数は減ってしまう。後一度事務手続きに伺うと、施設ともお別れになってしまうが、あそこに行けば母が居るような、そんな気持ちのままでいられそうで、それも幸せな思い出かもしれない。不思議な事に渋谷の実家に居た母よりも、施設で車椅子に座り、いつも微笑んでいた時の母が今は一番懐かしい。

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母の幸せな最期を見届けた

2012.01.08(日)sun早くも七草が過ぎ、お正月気分も抜けてくる頃。

松の内の最後の昨日夕方5時20分、母が静かに眠るようにこの世から旅立っていった。そのほんの数分前、病院の窓から大山方面に沈んで行ったこの日の太陽の残照。山々の手前の灯りが上りかけた母の魂のように輝いた。

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母の血圧が下がり始め、呼吸も更に荒くなり始めた頃、、4人部屋からナースステーション隣の個室に移された。この頃には、私達夫婦、アメリカの姪夫婦以外の弟家族全員と娘が母の周りに集まっていた。

新年を迎え、日増しに体力が衰えはじめた母。娘達、息子達、私達夫婦が毎日のように見舞いに出かけた。娘が行った時が一番よくしゃべっているようで、話がかみ合ったなどと報告が来る。

昨年暮れ12月6日に入院してから一月が経った。「長くて一月、早ければ年内の可能性も」とドクターに告げられたのが20日、更に24日には膵臓に癌が見つかり、重症である旨も告げられた。イブの日に弟達に連絡を取り、イブからクリスマスにかけて、母の見舞いが相次いだ。暮から年が明け、自分の家族が主に交代で母を見舞う中、新年の3日には弟が来て、その頃から母の意識は薄れがちとなった。毎晩、携帯の電源も落とさずに枕もとに置き眠った。いつ病院から連絡があってもいいように態勢を整え始めた。

母が神奈川に来てから撮りためた写真を選び出し300枚近くネットでオーダーし、更に小ぶりのアルバムを用意し、みんなに見せる分、一緒に写した家族達それぞれに渡せるようにと合わせて10冊程のアルバムを作り上げた。葬儀の日に母の思い出を一緒に持ち帰ってもらうために。そんなさなかの昨日だった。朝一番に見舞った娘からの連絡は、「おばあちゃん、今日は酸素マスクをして、血圧も低い」、すぐに夫と二人で病院へ。

酸素マスクをした母は、その前日もそうだったように、目をあけることも笑うこともなく、荒い息をしたまま横たわっていた。昼食もまだの娘と夫が、昼食を兼ねて、又今後への必要な買い物に出かけた。4・5時間の間一人で母の側で、小さな声でそっと語りかけた。「お母さん、ありがとう。みんな幸せに暮らしているよ。みんなお母さんのお陰。もうじきみんながお母さんに会いにくるよ」と。尽きない感謝の念は母に伝わっただろうか。

人が好きで、小さな子供が大好きだった母の最期は、二人の可愛いひ孫も含めた母の子供達家族に見守られる中、閉じた両の目から一筋ずつの涙を流して逝った。松の明ける日の土曜日を母が選んだのか、そしてみんなの時間の付きやすい、夕方に旅立ったのだった。あっぱれとしか言いようの無い母の旅立ちに、何故かおお泣きすることもなく、そのさりげなさに全員が悲しむというより、母の、後に憂いを残さないその旅立ちに不思議な明るさが残ったのだった。

何よりも、末期に近い癌が見つかったのに、痛みを訴えることもなく、大きく苦しむ事もなかった。唯唯最後に意識が遠のき荒い呼吸をしている母が少しでも早く安らかに眠れればとみんなが思い出した頃に、すっと逝った母の潔さは、家族全員の心にほっとするような安堵感を残してくれた。病院地下の霊安室に安置された遺体となった母は、病院の方できれいに清めてくださり、新しい浴衣を身にまとい、お化粧のほどこされた顔が生きて眠っている時と同じような表情で安らかだった。母の介護を始めて、何度も言ってくれた言葉「あたしは幸せよ」施設に入ってからもすぐに馴染み、終の棲家としての日々を「あたしは幸せよ」と何度となく言ってくれた母。家族との最後の別れの時もきっと幸せな気持ちで旅立っていったと思いたい。

数え88年の人生のうち70年以上商売をしながら働き続けた気丈な母は、一度として娘に愚痴を言うこともなく、子供達を男親のような大きな愛情で包み、育てた。

一夜明けた今日は、午前中から自宅で葬儀社との打ち合わせ。斎場の都合と家族全員の希望で、15日日曜日の一日葬とし、喪主は長男である弟が、そして母が最後に幸せな日々を過ごせた神奈川の地で、家族だけで母を見送ることに決まった。弟が高齢になったその他の親戚達に伝えた連絡からこちらにも連絡が入ったり、葬儀社との更なる打ち合わせ、連休が明ければ病院への支払いや、お世話になった施設の事務手続きなど、この後も片付けなくてはならない用事も多い。、しばらくばたばたとしそうな日々。

今日は母が最後を過ごした病院近くに買いものに行き、病院の周りを歩いた。駐車場側からの入り口から院内に入りエレベーターに乗る。4階のあの部屋に行けば母が寝ているような、先に書いた事実など何も無かったように眠っているのではないかと、夢のような気持ちに襲われる。又、我が家の裏手の歩いて5分程の施設のあの部屋には、母がニコニコしながら車イスに座っているのではないかと、遊びに行ってしまいそうな、そんな気持ちのままの自分がいる。

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2012年の初日は我が家から見た日の出で始まった!

2012年1月1日sun

 皆様明けましておめでとうございます。

 皆様にはよいお年をお迎えになられたことと思います

 今年こそよい年でありますようにと願いながら、    

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

  sun 初日の出 sun

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目が覚めて、すぐにカーテンをひいて3階の我が家から見える元旦の日の出を確認。明るくなり始めた朝、東の空から上る日の出を待った。

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木立の向こうの建物屋根の向こうから上り始めた今年一番に見える日の出

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少しずつ高くなり

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やがて建物の屋根より高く姿を現したsun

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室内のりビングボードのガラスの中に映った日の出

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やがて陽の光は高く高く上り始めた。

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元旦の朝の日射しがお供え餅まで届き、照らしたdiamond

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ボードの扉に映った光と影

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磨き忘れたボード内のグラス達だけれど、初日を浴びて少し輝いて見えるshine

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テラスからの日射しが射し込んで、花瓶が透けて見えた

平和な朝だったscissors 時折ぴーよぴーよとヒヨドリがテラスの鉢に遊び来る。今年こそ平穏な年であってほしい。そんな願いが午後には打ち砕かれるような、久し振りに大きな地震に襲われた。2時半になる少し前だった。震度4程の揺れが長かった。3.11の地震の時に近い時間。何も年明け早々こなくてもと思いながら、よく考えて見れば、昨日までの昨年の続きが今日なのだった。年が明けたからと言って、昨年の出来事がリセットされたわけでは無かった。

まだまだ忘れるわけにはいかない。あれからは風呂にはいつも一杯の水を溜めながら、食糧やボトルの水などの備蓄も欠かさず、揺れを感じたらすぐに潜り込めるようにダイニングテーブルの椅子は一脚片付けたままになっている。

それでも年神さまに願いたい、大きな災害が起きませんようにと。

地震後に、息子から電話が入り、母の見舞いに行くというので、病院で落ち合おうということに。今日の母は、病室のベッドでよく眠っていた。談話室で目覚めを待ちながら息子達を待っていたら、娘夫婦が見舞いに来てくれたので、久し振りに孫息子以外の人数が揃った。母の目覚めの様子を見に行きながら、全員が順番に母を見舞う。

母には「お母さんいつも有難う」の言葉をかけた。軽いジョークに反応して、「ホッホッホ」と笑わせたりして、穏やかに眠れるように安心させ、疲れさせてもいけないので短時間で切り上げた。

全員が時間があるというので、駅前のファミレスなら多分空いているという息子の提案もあり、3台の車で行って見たら、予想通り車は止められるし、店内も静かで空いていた。2日の自宅での新年会も無しなので、孫息子は来られなかったけれど、6人で夕食。帰りに自宅に寄ってもらい、お茶を飲みながらのひと時を過ごした。孫娘は我が家のパーソナルチェアーで膝かけを掛けて眠るのが好きで、今夜も眠ってしまい、息子親子が後に残り、夫と息子の共通の趣味であるギター談議などに花を咲かせる平和な時が流れた

いつもの自宅での新年会を今年は出来ないけれど、家族が元旦に顔合わせが出来て、それなりに楽しいお正月となった。いつも仲間だった母と孫息子が居なかったのが淋しく残念ではあったけれど。2012年の初日がこうして始まった。

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