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マリガンのジャズを聴きながら、昔の事などを思う!

久し振りにマリガンの音楽が聴きたくなった♪

       cdnote

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昭和20年代から30年代のいつごろまでだったろうか。渋谷の街が今ほどきれいに整備されていなくて、昔の井の頭線の乗り場近くのガードより少し手前に、魚などを売る市場があったと記憶している。そしてその市場の上の方には大きな映画の看板がかかり、道玄坂方面に向かう時に左手を見ると、その大きさが周囲から際立って目立ち、良く見えたものだった。今でも忘れられない看板がある。両の手を大きく広げた身振りの大きなジェスチャーの女性が立っている姿が描かれたもので、映画の題名は『私は死にたくない』というものだった。随分小さい頃だったような気もするけれど、小学生だったか、中学生になっていたかもしれない。子供が観る映画では無いような気がして、その当時にその映画は観ないまま、印象的な題名と看板の絵だけが、その後長い間記憶の中に強く残ったまま。

昭和30年代後半近くになって足を踏み入れた道玄坂の上の方にある百軒店には、昔は映画館位しか無かったように思っていた場所。

いつの間にか何軒ものジャズ喫茶が出来ていて、どこも若者達の姿で一杯!「ムルギー」のカレーやさんにお寿司屋さん、洋食屋さんに「喜楽」のラーメンと、若者が集いたくなるような独特の雰囲気が漂う一帯に変貌していて、その狭い一帯の持つ魅力に取りつかれるのに時間がかかる筈はなく、一部の若者たちにとって、何とも言えない魅力的な光を放っていた。

百軒店よりほんの少し駅方面に下り、左側の道玄坂小路にはいりしばらく歩くと「デュエット」という店があった。店内の内装は真黒で、1階と中2階がジャズ喫茶で半地下がカウンターバーになっているという、まるでフランス映画に出てくるような大人の雰囲気が漂う店だった。ここもいつも学生やその当時の自分から見て少し大人の人たちが一杯で混んでいた。私のジャズ喫茶体験はこの店から始まった。その後は百軒店、新宿にも出かけたけれど、多くは百軒店で時間を過ごすことが多く、夫と知り合うきっかけも百軒店であり、その最大の場所は当時百軒店にもあった「DIG」の店内だった。その後のデートの待ち合わせは、必ずジャズ喫茶となり、大抵は「デュエット」か夫が学生時代からの友人と集うことが多かった「ありんこ」だった。

さて、今日聴いたマリガンの「I WONT TO LIVE!」はこの「デュエット」で始めて聴いたように記憶している。他の店では余り聴くことは無く、当時のヌーベルバーグ映画のセットのような店内で聴くマリガンのサックスはとても大人で、わくわくしながら耳を傾けたものだった。そして、先の映画の看板である『私は死にたくない』のテーマであることもその頃に知ったのだった。久し振りに今日はそのマリガンのバリトンの音色を堪能、1958年の作品♪

映画はその又随分後になって観て、無実の罪に問われた女性が死刑になるという重い内容で、最後に死刑になる所まできっちり描かれていたような・・、あいまいな記憶がある。その女性を演じていたのが、あの大きな看板に描かれていたスーザン・ヘイワードだったのだ。

かって趣味から営業用にと相当数集めたLPレコードの大半は、置き場所に困り手放すこととなり、その後は好きだったものや新作旧作も含めてCD化されたものを改めて買いなおし始めて「I WONT TO LIVE!」もあるときに街のレコード屋さんで見つけて買ってから、時折聴き、今日のもう一枚の「マリガン・ミーツ・モンク」は大分前に夫が買いなおしたものを、私も聴くようになった。このマリガンもご機嫌で、巨星モンクと対峙して一歩のひけもとらず、全編通じて自分の世界を繰り広げてくれる。

モンクの曲が多く演奏されているのに、マリガンのバリトン演奏部分になると時々モンクのピアノの音が全く聞こえなくなる場面が何か所かあり、突然触発されたように出てくるモンクのパートも面白いけれど、マリガンときたらモンクのピアノには、ぴたりと寄り添いバックをつけたり、ベースや太鼓と一体となってバックをこなし器用なもので、邪魔にもならず実に楽しく聴ける。モンクのピアノの音楽性の素晴らしさは言うまでもないけれど、モンクは無音の時は一体何をしていたのかしらと想像してみたり、何だか愉快な気分で聴くことが出来た。1957年録音とCDのデータにあるので、「I WONT TO LIVE!」の1年前の作品だ♪

   notenote

「歌は世につれ、世は歌に連れ」という言葉があるけれど、まさに音楽はそれぞれにその曲などを聴いた頃の背景や付随したもろもろの記憶を呼び覚ますという効用があり、今でも記憶に残るあの映画の看板がかかっていたあたりは、今では岡本太郎画伯の巨大な絵画が飾られているようで、今その絵を見ながら通る人々の未来に、その絵画のある風景を思い起こす音楽はどんな音楽になるだろうか。

そして、最近良く感じることは、たまにジャズを聴きに行く場所のオーディエンス達の年齢の高さを思うと、ジャズも記憶の彼方の音楽になりつつあるのかしらとふと思ってみたり・・・、あの活気のあったジャズ喫茶に集う若者たちガ闊歩していたころから思うと少し淋しい気持ちになるけれど、それは自分たちが行く場所が年齢相応に古いからばかりともいえないと思うし、もしかしたら、ジャズと言う音楽が多岐にわたり、ジャズ喫茶華やかなりしころのファンキーブームが起こったあの頃から見たら、余程音楽が高度になりある種難解な部分を秘めているからかもしれないとも思ってみたりするけれど、昔のジャズのままで面白いというわけでもないので、そうとばかりは思いたくはないし。

先程、ネット注文しておいたCDが宅急便で届いた。一枚は新譜であり、もう一枚欲しかった昔のものだけれど、モンクの有名な作品だったが、メーカー在庫切れでキャンセルを余儀なくされてしまい新譜のみ届き、ちょっと残念な今朝だった。

2009年8月20日

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コメント

こんにちわ。

マリガンはデュエットでかけてましたね。

昔わたしはデュエットで働いてました。

マネージャーの末永さんは、仕事には厳しかったですね。タンブラーグラスの洗い方と磨き方に始まって、コーヒーの立て方、氷の割り方、シェイカーの振り方など、最初の二ヶ月くらいは、それこそわたしに手取り足取り教えてくださいました。

マンハッタンをカクテル・グラスでカウンターに出せる自信がわたしにつくまでは、時間がかかりましたけれども、今考えてみると、本当にヒゲの末永さんのおかげでした。

末永さんの選曲も厳しかった。コルトレーンなんて、絶対かけてませんでしたね。

六ヶ月くらいして、わたしにも、はじめてレコードを選ぶ許可が下りたと思います。当時、未熟だったわたしがおそるおそる選ばせていただいたのは、

カーティス・フラーの「ブルースエット」
ウォルター・ビッショプの「スピーク・ロウ」
白ジャケット の「ブッカー・リトル」

そのくらいでしょう。

末永さんは、カウンターの中でおしんこを漬けるのが得意だったんです。でも、ああいうのは、ちょっとヌーベルバーグとは言えなかったと思いますね。

投稿: 川蝉 | 2015年1月 2日 (金) 06時01分

川蝉さま
初めまして。

昔デュェットにお勤めだったのですね。
何年ごろのことか分かりませんが、同じころのこと
だったのかも知れませんし、何かのご縁ですね。
記事に書いた通り、デュエットはその頃の私から見たら
とても大人のお店で、
末永さんというお名前も存じ上げなくて。
もしかしたら、仲間の人たちが勝手に
「わんちゃん」と呼んでいた王貞治選手似で、
カウンター内で威厳のあったあの方かしら?
お仕事の指導の仕方から想像すると、
かもしれない?という気がしてなりません。
マリガンのジャズは、何といっても
デュエット以外では記憶になく、
記事に書いた通りです。
川蝉さんの最初の選局「ブルースエット」は
どこのジャズ喫茶でもよく聴きました。
「スピーク・ロウ」は我が家で時折聴きます。
「ブッカー・リトル」のその盤はありましたが、
私の記憶になくてsweat01
JAZZ喫茶で「おしんこ」まで漬けてらしたなんて、
カウンター・バーでの
人気のおつまみだったのかしら?
いずれにしても懐かしいお話です。

お正月疲れで、PCを開けるのが遅くなり、
お返事が遅くなりましたこと、お許しください。
又、お気が向いた折にお立ち寄り
頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: chisa_pie | 2015年1月 5日 (月) 12時16分

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